開発した実用プログラムもあるでよ
以下は最近読んで特におもしろかった本に対する書評・感想(新読順)。私の場合、本はあまり買わない。図書館通いの毎日。読むのは、ほとんど物理学の理論書あるいは航空・宇宙関係及びテロ・サバイバル関係ばかりナリ。
もうだいぶ昔のことだが、ホンモノの龍を見たことがある。
台風の去った後後の海上を高台から眺めているうちに、西の空から東へ向かって鶴のような形をした雲が流れて来た。ああ、面白いなと見続けていると、その次にやって来た一筋の雲は金色の大きな卵をくるりと抱いた立派な龍となり、その卵からひとしきり海に雨を降らせた後、色も薄くなった卵を解き放つと、その色と輪郭をくずしながら大急ぎで斜め一直線に、さらに上空の黒い雨雲の中へと昇り、消えて行ったのであった。
もちろんこの体験は、ある特殊な状況下における幻覚というやつにほかならなく、それはそれでとても美しい光景であり、楽しめるヴィジョンではあった。しかしその映像のリアルさに驚きつつも、さらに「幻覚を観ている」という事実自体に気付き興奮し、楽しんでいた自分があったことを思い出す。
五感と言われる人間の感覚の中において、情報を取り入れる手段のひとつである視覚は特に大きな比重を占めている。ところがその視覚情報にしても、脳は網膜に映った映像をそのままの形としてとらえているわけではなく、幾重ものフィルターと何重もの変換処理を経た後の、いわば再構成された情報を意識に伝えているのである。いろいろなイメージ、メタファーは、脳内でいろいろな角度から分析しなおされ、それを人間は「現実」として認識している。不可知論者である俺は、せめて自分が現実に見聞きし体験したものだけは少なくとも信じられると思っていたのに、その「観た事」すら実は全くあてにできなく信用ならないということ、これは、あれほどまでにリアルな幻覚を体験した俺には、非常に素直に受け取れる現実なのである。
-書評-
(Aug. 8, 2002)
タイトルは詩人キーツの言葉に由来する。
キーツはニュートンを嫌っていた。なぜなら、ニュートンは虹を物理学的に解体し光のスペクトルとして説明してしまったことによって虹の詩的側面を損なってしまったからである、と。
しかし、むしろそれは逆であるというのが本書の趣旨。
虹を解体したことによって得られた新しい世界観によってこそ、この地球、この宇宙に対する”センス・オブ・ワンダー”が喚起されるのであり、それが本当の「詩性」の源となるべきものなのだ。
科学がもたらす、この世界、この宇宙の自然への畏敬の気持ちは、人間が感得しうる至福の経験のひとつであるといえる。
それは美的な情熱の一形態であり、音楽や詩が我々にもたらすことのできる美と比肩しうるものである。それはまた、人生を意義あるものにする。
人生が有限であることを自覚するとき、その力はなおさら効果を発揮する。(July.
5, 2002)
そんな私が前ドイツ大統領ヴァイツゼッカー氏の名に巡り会ったのは、ウン十年前のイラン/トルコ国境辺りでのヒッピーバスの道中でのこと。
インド〜中東〜ヨーロッパを独り放浪旅行していた俺が、道中一緒になったドイツの一青年と共に平和について語り合い、考えていたちょうどその頃、ベルリンの市長としてその荒れた地の若者と懸命に対話をしていたのが、実はこのヴァイツゼッカー氏だったのだな。
ヴァイマール時代、ヒトラーを任命してしまった折の反省から、戦後より現在の独大統領にはほとんど一切の政治施行権限が与えられていない。
つまり、「語ること」のみが「象徴」としての現ドイツ大統領の唯一の職務なのだそうだ。
「Politcian(政治家)は次の選挙を考え、Statesman(同じく”政治家”の意)は次の世代を考える。」とは、19世紀アメリカの神学者の言。
その点ヴァイツゼッカーは、まともに語るにも恥ずかしい程情けない我が国の政治/政治家にこれまで失望させられ続けて来た俺にとって、初めて出会った、真に尊敬できる「政治家」であったのだ。
自己の倫理感に忠実に、政治と国の未来に対する真摯な態度の下、推敲を重ね、練りに練った構成で、正確かつ確実な言葉を選び、上からの押し付けではない低い視線で論理的に人々を啓蒙せんとするその言葉の重み。
けして派手なアジテーションでなく、意を異にする者をも納得させ得る柔らかくしかも力強い論理。
およそ「理念」などというものから遠くかけ離れ詭弁に満ち満ちた日本の政治家達の「ことば」との、何という違いだろう…。
当時、日本の全ての新聞が一切報道することの無かった「荒れ野の40年」演説は、リンカーンのゲティスバーグ・スピーチと並び、俺様のバイブルとなった。
マイ・ブームは当分終わりそうにない。(Sept. 20, 2001)
「複雑系」は、カオス理論、フラクタル理論など非線形力学を取り扱うものの延長上に位置する新しい学問であるが、車交通に於ける渋滞の理論、流体力学、経済学、政治/社会学、生命の誕生に係わる生物学、遺伝学、人工生命の研究、ゲーム理論、ニューラルネットワーク、エコロジーなど、その内包または関係する分野は驚く程幅広い。
物理科学者を自称する俺なわけだが、趣味が「『宇宙論と量子物理学の研究』の研究」(そのものを研究しているわけではなくて、「研究」の研究だ!)だというだけで、もちろんズブズブの素人。
ゆえに専門的な知識などたいして持ち合わせているわけも無いのだが、研究の成果の有る無しが生活に影響を及ぼすわけも無いお気楽な立場なわけで、興味の向いたことには何でも首を突っ込める。
一応の専攻(?)は量子力学ならびに宇宙論なのだが、最近の興味はこの「複雑系」なる科学分野なのである。
俺には野次馬根性というものはまるでないのだが、気の散り易い性格なのかすぐに新しい事に目移りがしてついついいろんなことをやってしまうのだな。
なもんで、一種の職人であった俺の親父からは「器用貧乏」などと悪口を言われる始末さ。
しかし、アルキメデスやガリレオの時代ならともかく、今こそ博物学が必要とされる時代であると俺は考えるのだ。
俺の敬愛する科学者であるライアル・ワトソンやカール・セイガンなども、ある種、博物学者であると言えるかも知れない視野の広さを備えた方々であった。
実は、この本を読み初めて、何かデジャ・ヴ(既視感・既知感)のような思いと共に、「うん!!そうだ!そうなんだよ!」と叫ばずにはいられない事に何度も出逢った。
自分でも、うまく説明できないのだが、今の俺がたまたま現在の自分の仕事について再考、再確認をしているような状況や、形こそいろいろ違えども今まで俺が(ある1つの共通した理念の元に)やって来た事や、同じ考え/同じ意見/同じ見方をしている人々に出逢って、「ああ、やっぱり俺は間違っていなかったのだ」と安堵する気持ちなど、このサンタフェ研究所を造るにあたっての理念やその経緯など、多くの事柄に共通点を感じてしまったのである。
それについては、自分でも(「確信」に近いものになって来ているが)具体的にはよくわからないことではあるのだが、厄年を過ぎて(?多分…というか、もともとあんまりそー
ゆーことは考えないタチ。)ようやく停滞していたジレンマの時期を越えようとしている気がして、何か新しい展開が始まる様な予感のする二十世紀最後の週なのであった。(Dec.30,
2000)
著者は1981年に発表された「インフレーション理論」の提唱者のひとり。対談形式で文系人間向きにわかりやすく最新の宇宙論を説いている(つったって、依然としてよくわかんねーんだけどね)。
このページ初登場のマンガ! かなりクダラナくて画もあまりウマクない上に暴力描写は多いし(特に「世紀末リーダー伝」のほう)主人公のキャラクタもかなり濃い(笑)。しかしその内容は、マジ感動もの!(注:俺にとっては)
7歳にして胸毛と脇毛と電気剃刀の歯もこぼれる鋼の無精髭を生やす、リーダー的存在「たけし」が貫く愛と正義と勇気の物語りだ!かなり笑えたぜ。これは息子からとりあげた。んが〜、第9巻抜けてら。読みてぇ〜。(Oct.30,
1999)
「人民の人民による人民のための政治…」で有名なゲティスバーグ・スピーチ(敢えて「演説」とは云わない)が、いかにアメリカ合衆国を、そして世界を変えたかについて書かれた、1993年のピューリッツァー賞受賞作品。このわずか272語の文章は、英語の授業に於いて全文を暗唱することを条件に、社会科の期末試験の点数に15点が追加されるという英語&社会科教師の連携プレー的密約により、高校時代の私に多大なる恩恵をもたらせた。そんなこたぁどうでも良いが、リンカーンの「ことば」に対する類稀なるセンスの良さと、その背後にある崇高な理念に、当時の私は、いたく感銘をうけたもんだ。そんなことを思いだしながら本書のページをめくった。(Feb.21,
1999)
ハッブル宇宙望遠鏡(HST)が打ち上げられて、早9年になろうとしている。当初の設計ミスや事故、故障等の苦難の時期を経て、このところ、HSTの成果が続々と公開されているのです。特にわしが興味あるのはHDFと呼ばれる、地球から観測できる最も遠い深宇宙の映像(このページのバックグラウンドイメージがそれ)。ハッブル、万歳。テクノロジー、万歳。宇宙のロマン、万歳(Feb.18,
1999)
ここの書評欄でSF小説を紹介するのは初めてだな。本書は私の敬愛するSF界の大御所、A.C.クラークとNASA(JPLだったかな?)の現役エンジニア/プロデューサーでもある、G.リーのコンビによる最初の作品であります。このコンビには「宇宙のランデブー」三部作という、素晴しい作品がありますが、人間の描写にあまり重きを置かないA.C.クラーク(そこが私はとても好きだったりするけど)に、作家としては無名のG.リーの豊かなストーリー・テラー性(特にやたらに多いSex描写!わはは。)が加わり、エンターテインメント性充分の作品に仕上がってます。
ここでわざわざ本書を取り上げたのは、最後に主人公の一人が結論する「人生の目標」に対する信念に共感を覚え励まされたから。A.Cクラークの熱烈なマニアには、ちょっとあてが外れた内容かもしれないけどね。(Feb.1,
1999)
アインシュタインの相対性理論が時間の理解についての革命を引き起こしてから一世紀になろうとしているが、その帰結はまだ充分に理解しつくされていない。また、この理論の深層に大きな限界が潜んでいることを暗示する深刻な問題もある。宇宙の年齢に関する食い違いと、アインシュタインの時間を量子物理学と統合する上での障害である。しかし、もっと始末が悪いのは、アインシュタインの時間と、われわれ人間の経験している時間が深刻に対立していることであろう。この問題についての解明を「宇宙最後の3分間」の著者が試みたのが本書である。が、本書を読み終えた読者は、前よりも一層混乱していることだろう。なにしろまえがきにもある通り、本書を書き終えた著者自身も、前よりも一層混乱してしまったというのだから!訳者あとがきが、これまた面白いよ。(Jan.23,
1999)
邦題は「物理学のすすめ」となっているが、これは訳者も認めるとおりの異訳で、正確には「物理学における諸問題」である。現在の物理学、その中でも得に、素粒子物理、宇宙論、物性物理、及び「基礎にかかわる問題」に於いてまだ解っていない事項、研究中、あるいはこれから研究されねばならぬ事項について描かれたものであります。
前述(注!:このページは新たに読まれた順に書かれているので、前述とはこの下の項目です)の「ビッグバンはなかった」の著者は、現在の宇宙論の大勢を占める「膨張宇宙論」による悲観的な姿勢を嘆いていたが、この本は、その様なペシミズムに対しての反論にもなっている。すなわち、「熱的死」を最終的段階とする宇宙においてさえ、科学の進歩、科学的思考概念の進歩には、まだまだ未開拓でパラダイムシフトを成すべき事項が存りうるということを、科学者らしい論理的かつ謙虚な姿勢で述べているのであります。(Oct.13,
1998)
わしは、ある説に対しては必ずその反対意見にも耳を傾けるようにしている。そこで、その類の本もここで紹介しよう。現在の大勢を占める科学理論であるところの量子力学と膨張宇宙論を基とするビッグバン理論に対して、プラズマ理論を持って、真っ向からの戦いを挑んだ本であります。
偏見を承知で言わせてもらえば、とかくプラズマ研究者は、何でも全てをプラズマで説明しようとするところがある様に思うんですけど…。この本においても、少々論理が強引な部分もあるが、全体的には、なかなか興味深い内容であります。特に、膨張宇宙論イコール、ペシミズムとする意見はともかくとしても、今日の社会の不合理を、建設的な目的意識によって改革しようと提唱する著者の態度、思想には同意するところであります。(Oct.9,
1998)
現代の宇宙論の到達点をきわめて平易に明快に解説した好著。
ファインマン教授による、コーネル大学での講演(1964年)とノーベル賞受賞講演(1965年)。彼は難解な量子力学という分野の科学における第一人者の一人であるが、科学というものの考え方を一般の人にもわかりやすく表現することに定評があるのです。下記の「量子のミステリー」にも登場する、量子のとる行動に関するパラドックスについても、氏はこの講演でわかりやすく簡単なことばでそれを表わしている。おすすめ。
著者はコーネル大学教授、物性理論の専門家。量子論はきわめて成功した理論であり、実際的な予測や数学的応用について非常に有効である。しかし、「なぜそれが答えでありうるのか?」という点について量子論はこたえようとしない。アインシュタイン/ポドルスキー/ローゼンの思考実験等を考えるとき、あまりに現実離れしたその概念に、わたしの頭はぐるぐるとめまいをおこし、意識は暗い奈落の果てに落ちこんでゆこうとする。ともすれば、安易に哲学的な解釈に逃れようとするところを著者はぐっとこらえ、冷静かつ謙遜な科学者の思考で量子のふるまいの謎を語る。これにくらべりゃ、時間の始まりや宇宙の大きさなんてえことに思いをめぐらすのは、実に簡単に思えるね。
量子論、むつかしい、おもしろい!
リチャード・ファインマンによる物理学入門の最高の教科書。一家に一冊常備のオススメ!(なわけないって)
1980年代のフェルミラボ(国立加速器研究所)所長がおもしろおかしく語る、実験物理学者からみた素粒子の解説本。著者はガモフ、ファインマンを超えるユーモアの持ち主。フェルミラボでは「笑う所長」の異名を持っていたそうな。
よし、この本があればおれにも加速器がつくれるな。
天文学、物理学はもとより、哲学、宗教など人類の全知性にかかわる宇宙論の集大成。著者はたいへんに幅広い教養の持ち主らしく、参考図書の数は莫大であるよ。ちなみに訳者の野本陽代氏は、この本の他、後述の「時間の矢、生命の矢」をはじめ私が気に入った本の多くを訳しておられることに最近気がついた。
この数年ほどの間、ずっとトイレに置いといて繰り返し読んだ本。私の天体物理、量子物理学、宇宙論への傾倒はこの本によって開花させられたといえる。
これは、図書館から借りっぱなしではまずいので、買った。すこし、臭う、かもしれない。
生前に刊行された最後の本。カール・セーガンも年とって怒りっぽくなったか?
前作「サイエンス・アドベンチャー」(BROCA'S BRAIN: Reflection on the Romance of Science)でも似非科学に対する攻撃にその四分の一を割いていたが、ここで彼は全ての似非科学及び反科学を明快に否定して、それらに惑わされる人々を啓蒙しようとし、私の考えるところの「正しい科学者」像をもって、科学について、教育について、そして人間についての真摯な考えを述べているよ。
カール・セーガンという人はその実業家的な政治手腕(?)と行動力から、山師みたいに一部から思われてたみたいだが、ライアル・ワトソンと並び、人類の未来のために科学の啓蒙に励む真摯な博物学者の一人として私は尊敬している。あまりにも専門化しすぎた現在の科学界において、この人のような存在は有意義。
この著作で彼は、アメリカにおける科学の基礎研究力の低下、基礎教育における質の低下に対してかなりの悲壮感をもって警告している(地球外知的生命の探索で知られるSETI計画の挫折も近視眼的な政治家の無知によるものだし、アメリカではファンダメンタリズム系の教会<進化論を否定してる>が力をもってる州も多いのだ)が、われわれとしてもこのようなアメリカの状況を他山の石としなければいけない。
日本においても、人の無知につけ込む詐欺商法やオウムなどが社会現象となる現在、私もそれらに対し毎日のように腹をたててるじじいになっておるのぢゃ。志を同じくする科学者として、敬意を表しつつ、その内容をパクらせていただく。(・おいおい。)
本書は、現在の政治、教育界を牛耳っている方々から、次の世代の担い手である若い人までのあらゆる人々に是非読んでいただきたい。(Feb.3, 1998)
ここにKim Eric Drexler博士をご紹介することができるのは、私の喜びであります。博士は私の唱える「ハイテク・ローテク」そのものであるかのような研究をなさっておいでです。詳しくは本読んでね。
ニュートン力学から相対性理論、量子力学、熱力学、進化論、カオス理論にまで及ぶ、物理、化学、生物学からのアプローチで時間の方向性という問題について考察する力作であります。翻訳は野本陽代氏。
著者は山梨大学の生物学の先生ですが、生物学的構造主義に基づく多元主義を唱えており、差別問題に対するご意見と共にその明確なロジックに私はたいへん共感を覚えます。池田先生にエールを送りたい。
ここ数年で私の読んだ本の中でも、だんとつにおもしろかった! 「左と右」というとても身近かつ深遠な概念を、鏡に写る像の左右から、アミノ酸やタンパク質のらせん構造の向き、パリティ保存の法則の破綻、「時間の矢」へと、あらゆる分野の科学を通して考察する。素粒子から宇宙の大規模構造までをひもパンティーやらふんどしで説明しようとする「スーパーストリングス理論」にまで話しをもっていっちゃったのはちょいやりすぎと思うが、お勧めの一冊であります。(Oct. 20,1997)