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Concerns about copyright on music business

 現在、音楽家の作品、演奏などは著作権により保護されています。権利が放棄されたもの以外については、その使用にあたって権利者の許諾を得て使用料を払うなどすることが必要になるわけです。これにより、私の作品もCDになるときに、出版社などとの間に著作権契約をかわすことによって、売れた枚数ごとに作曲印税などが手に入ることになります。

ところが近ごろでは、DJ達が既存のレコードを複数同時に再生させたり(ミックス)、その中のあるフレーズをスクラッチして繰り返し再生させたり(ループ)、テンポをかえたり繋ぎ合わさせたりという具合に「演奏」することによって新しいタイプの音楽が作り出されてきております。またシンセサイザーやコンピュータ、サンプリングマシンなどのデジタル技術による昨今の音楽製作の方法は、DJ達と同様の方法論により、それまでの音楽の形態をも大きく変えようとしています。もはやCDの演奏者クレジットのところを読んでも、実際に誰がどの音を鳴らしているのかの判断もつきかねる状態です。
加えてインターネットに代表されるコンピューターネットワークの発達により、デジタルデータという形に変換された音楽は、まさにオリジナルそのままを瞬時に各家庭において再生可能な状態になろうとしています。特に録音芸術(CDやレコードに記録された音楽のことです)の場合は上述のクラブ音楽のように、もはや音色と演奏の差が曖昧になってきており(どちらも単なる時間軸上における音圧変化にすぎません。)、「音楽」という概念からして既に根本的に新たに考え直さなければいけない時代になってきたように思えるのです。

音楽とは、つきつめれば、音圧の時間的な変化のパターンに価値ある意味を感じとることに過ぎません。ノイズだらけでボコボコの楽器のスカスカな音色であろうとも、素晴しい演奏、良いメロディー、美しい和声を感じ取ることが可能ですし、かたやテクノミュージックのような音色重視(ちょっと偏見がはいってるかな)の形も有り得るわけです。極端な話、何億円もかけたレコーディングスタジオで録った音楽も、ライトペンで同じように波形を描いたなら全く同じに聞えるわけで、ここに方法論の違いは関係ないということです。程度の違いこそあれ、シーケンサーのデータをこつこつと作成すれば、(楽器の演奏を習得することに比べれば)いとも簡単に、<良い>音楽を<演奏>することも可能でしょう。今現在はまだ未完全で進歩途上にあるDTMではありますが、技術の発達は音楽に対する底辺を広げ、新しい音楽の形を創り出し、ひいては音楽文化をより深くし向上させるものと思います。そこにおいて、音楽の可能性が斯様に広がった現在、著作権という形でのある種の制約は、無駄な努力であるばかりでなく、むしろ文化の進歩に逆行するものとさえいえるのではないかと、そんな考えが私の中で芽生えてきています。
もっとも著作権をまるっきり放棄するとなると録音産業は商売として成り立たなくなり、これは資本主義の世の中において、大きなパラダイムシフトでありますから、実際問題として著作権を放棄することは難しいです。(かく言う私も自分の身を削った分身ともいえる自分の音楽作品が、もし、他所で勝手に使用されてその見返りが全然無いとなったら腹がたちますが…) 多分近い将来には、新たな法整備とネットワークの配信システムの整備により、元データが一元的に管理され、使用方法によって細かく課金されるという形になるのでしょう。

大昔のことですが、もともと音楽家はパトロンの保護の元、その作品を演奏したり譜面化したりして、生計を立てていたわけです。現在においても、演奏というリアルタイムなパフォーマンスはこれからも変わらずプロの音楽家に残された道です。しかし録音芸術に関しては、以上の事に関して少々考え直すべき時期が来ているのではないかと、そんなことを最近は考えています。

(1997/10/13)


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