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English Related Pages by S.Miyamoto

Killing Time

久しく活動休止状態にありましたが昨年暮れに活動を再開した、異色の奇才変人音楽集団「キリングタイム」を私の当時の行動とからめてご紹介いたしましょう。

歴史:1981年の秋、私がダブ・エンジニアとして参加していたProgressive-Techno-Rock-Band、チャクラは2枚目のレコーディングを終えようとしていました。PA席にシーケンサーやらリズムボックスやら発振器やらシンセやらを持ち込んで、バンドのミックスをしつつ、曲の合間に次の曲のデータをロードしたりシーケンスを打ち込んだり(当時はまだメモリーなんてできなかったんですね)ヘッドフォンをしてステージの演奏にシンセで加わったり(ヘッドフォンをしないとステージとPA席の距離のせいで演奏のタイミングがずれるんですヨ)と大いそがしの毎日だった私は突然、「僕は休憩する」宣言をして、1年間の地球一周ボンビー旅行に発ちました。

その間にチャクラのバンマスであり、私の親友であり、音楽の支障、もとい、師匠である板倉文が、清水一登(Pf, Xylo, Cla)、本坊哲治(Gt)、森村寛(Sax)、逆瀬川健治(Tabla)などという人達とキリングタイム(ひまつぶし?)という名前でセッションをしたそうな。そんなことはちーとも知らずに私は旅の間にタブラやフェアライトCMI、日本料理などを勉強して帰国したわけです。

チャクラはちょうど清水一登、仙波清彦師匠といった人々を得て3枚目のアルバム「南洋でヨイショ」のレコーディングに入ろうとしていました。帰国直後症候群にかかって思いきりハイだった私は当然、この第4期チャクラのメンバーとして復職を果たし、覚えたてのタブラやいい加減なパーカッションなどを叩いてレコーディングとコンサートツアーに参加したわけです。チャクラはその先進性と高い音楽性にもかかわらず(時代が追い付いていなかった!)残念ながら散会してしまい、板倉文と清水一登と私は次なる活動を模索しました。優秀な作曲家であり編曲家であり演奏者であるこの二人と私はそれぞれにチームを組んでシンセのオペレーションやエンジニアリングで日銭をかせぐことを始めたわけです。そしてそのかたわら、金銭的商業的な側面を排除し、あくまでも純粋に音楽を追及し自由に楽しむ為に暇な音楽家がセッションするといった形で、その名のとおりのキリングタイムというユニットを創り、その活動を開始することとなります。1982年のことでした。

というわけで、基本的にはキリングタイムにメンバーという概念は無く、その都度いろいろなミュージシャンが参加して楽しむという、流動的なメンバー構成によるセッションユニット的な形をとってきました。
最小ユニットとしては板倉文、清水一登、私の三人で、ギター、シロフォンとクラリネットまたはピアノ、タブラに手弾きのリズムボックス及シンセといった構成の下、ブラジル音楽を中心に繰り広げるおしゃれなサロンミュージックからどろどろのインプロヴィゼーションへ発展し、誰かがテーマを弾き出すと曲が変わって行く…てな感じでした。このメンバーによる初演は確か、「箪笥にゴン」のCM等でおなじみの市川準監督の事務所開きパーティであります。
これに
斎藤ネコのヴァイオリンが、日頃の抑圧されたスタジオ仕事での鬱憤をはらすかのように(笑)、狂気と共に乱入して来たのをかわきりに、ベース&チェロでは幸田実、渡辺等、溝口肇、岡野ハジメ、メッケン、横山雅史、ドラムス&パーカッションでは古田"シータカ"たかし、矢壁篤信、れいち、仙波清彦、帆足"ホアチョ"哲昭、青山純、管楽器に故・信田昌巳、村田陽一、Bruce Fowler (ex. Mothers Of Invention)、ゲストボーカルには小川美潮、ちわきまゆみ、Sandhi、大沢誉志幸、福岡"YEN"ユタカ、ハムザ・エル・ディーンと参加メンバーも増え、一時は「エレクトリック・キリングタイム」なる、2ドラム、2ベース、2ギター、2キーボード、2パーカッション、2女性ヴォーカルという(チャクラ+PINK+UPLM+ちわきまゆみって感じだったかね)大コンボ状態で行われたステージもありました。

ドラムスの青山純、ベースのMecken、パーカッションのWhachoの参入により、以後は殆ど固定メンバー状態となり、EPIC Sony レコードより12インチシングル「BOB」を皮切りに、「SKIP」、「IRENE」、「BILL」の3アルバムおよびベスト盤「Filling Time With Killing Time」をリリースする。エンジニアは通じてトッピーこと飯泉俊之(BOBの第一楽章は私が録ってます)
ライヴコンサートは相変わらずお客さんの反応を無視した演奏者の一方的盛り上がり(お楽しみ?)状態で、曲の終わりは必ずフリー状態に突入して崩壊して終わってしまうのが却って複雑怪奇な曲を演奏している様にとらえられていたところもあるらしい(笑)、がおかまいなし。音楽のジャンルこそ全く異なりますが、その自由度の高さ、サイケ度、音楽の楽しみ方、音楽に対する正に真摯な態度等は、かのGrateful Deadのそれに匹敵するものであったのではないでしょうか?このような多彩な顔触れで構成されたキリングタイムのステージにおいては、音楽的に何事も否定しないというコンセプトにより、いかなるプレイも許されるという大きな音楽的包容力を持っているのが暗黙の了解事項でした。それを可能とするメンバー間の厚い音楽的信頼は、後に小川美潮のアルバム「
4to3」(これは本当にいいアルバムですよ!)において、キリングタイムを中心とする参加メンバーの類まれなる総合アレンジ、総合プロデュースワーク(一曲ごとに作・編曲・プロデュースがメンバー持ち回りで変わるようなスタイル)として実を結ぶことになったと私は思う。
当時のバブリー状況のせいか、当時のエピック丸山さんのおかげかディレクターの福岡さんの御尽力かは知らぬが、やりたい放題の実験に明け暮れたレコーディング製作
(例えばBobなる曲は以後のアルバムをも包括する組曲状態で、レコーディングは足掛け5年、スレーヴに回した24トラックマルチテープは数十本におよび数人のアシスタントエンジニアを廃人にしたという)は、早い安いうまいを必要とされる現在の低迷した音楽産業界においては、私たちのような落ちこぼれを生む結果ともなったわけです。てか。

バブル経済の崩壊、エピックレコードの丸山社長、福岡ディレクターの移籍といった平凡な理由と複雑な状況によって数年間の休止状態にありましたが、この度当初の崇高な理念を存続させるべくKillingTimeは復活いたしました。活動休止の間にそれぞれのメンバーが得た、人生の重みとあいかわらず軽いままのオツム&財布は、今後のKilling Timeにどのような影響を与えるのでしょうか?

乞う、ご期待というところであります!    (Jan. 8, 1999 Ma*To)


宮本重敏さんの ’キリングタイム’ のページにリンク
Discography
(English Related Page by S.Miyamoto)


書評

('89 ベスト盤"Filling Time With Killing Time"ライナーノーツより前作IRENEに寄せて)


(ナント!)キリングタイム ファンクラブ」 なるものがあるそうです…(笑)。

入会希望の方はハガキに住所、氏名、電話番号、生年月日を明記の上、下記住所まで送ると、折り返し連絡してもらえるらしいです。
〒344-0067
春日部市中央2-15-7-316
「フィリングタイム入会希望」係

http://www1.vc-net.ne.jp/~keis/fillingtime/index.html


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